「どうした。」 「え?」 ローデリヒはその声に顔をあげた。 「どうもお前は何かさせてないとすぐにボーとするな。」 「ではピアノを下さい。」 「…まだ朝が早い。寝ている奴もいるんだ。」 「私のピアノを騒音扱いするのですか。」 ぽこり、と音をたててそうな顔でローデリヒはルートヴィッヒ を見上げた。 「そうじゃない。」 大げさにため息をついてみてルートヴィッヒはローデルヒの前 に立つ。 「昨日、色々あって忙しくて寝てなかった奴もいるんだ。…あ と一時間だけでもいいから我慢をしてくれ。…というより、家事を手伝え。居候だろうが、お前。」 そう言われローデリヒは不満そうに顔を顰める。 いっそまたフェリシアーノの事でも持ち出してやろうかとも 思ったが、まぁさすがにあまり我侭を言うのも大人気ない気がした。そろそろ上司にも怒られる。 「では草でも毟りますか。途中でしたから。」 「それはもういい。」 「?なぜ。」 「指を切っただろう。」 「切ってはいませんよ。…甲に擦り傷を作っただけです。」 「どちらにしろその状態で土など弄って化膿しては大変だろ う。…万が一、気が散って指も怪我するかもしれない。しばらくはいい。」 ルートヴィッヒにしては非常に気の利いた心配だったと思う。 ピアニストにとって手…指は命であることは誰でも知っている とはいえ。 「次からはキチンと軍手をしろよ。」 「用意をして下さい。」 「…分かった、分かった。……とりあえず今日は玄関でも掃い て来てくれ。」 そう言われローデリヒは大人しく玄関に向かおうとした。 けれどその前に忘れてた事を思い出してルートヴィッヒに振り 返る。 「有難うございます。」 「は?」 「手の心配をなさって下さって。」 「あ、あぁ…」 素直に礼を言うローデリヒによほど驚いたのだろう。 目を丸くして戸惑いを隠さない表情だ。 「いや、いいんだ。シュタイン。」 「何が?」 照れくさそうにする顔はいくら大人びてもやは り少し幼いように見える。 ローデリヒはそんな些細な時々見せる顔が嫌いではない。 「俺もお前のピアノは聞きたいんだ。」 「………」 「…あ、いや、その、…」 ローデリヒが目を丸くしたせいか何かおかしいことでも言った のかと勘違いした男が慌てている。 だからローデリヒは微笑んでやるとルートヴィッヒもすぐに安 心したようだった。 ローデリヒは少なくともこの家でこの男に作り笑いなどしない だろう。 必要はない。 その事実が安堵する。 素直だけれど不器用な男にもう一度柔らかく微笑んで優しく 言った。 「貴方の好きな曲を弾いてあげますからリストを考えておきな さい。」 音を弾くのが好きだ。 そしてその音をこの男が好いてくれる事が好きだ。 この暖かい感情の名前をローデリヒはあえて追求した事はな かった。 そんな物は自分ではない哲学者の役目なのだ。 美しいのなら哲学も嫌いではないけれど、必要もないことをバ ラバラに解剖して散らかしてひとつひとつ名前を確認する動作は美しいとは思えない。 けれど音は美しい。 だからローデルヒは音楽を愛した。 そして出来るだけでいいから、ルートヴィッヒにはそれだけを 聴いていて欲しかった。 涼しい日だった。 空気も程よく乾燥していて音はよく響くだろう。 掃き掃除を終わらせてローデリヒは廊下をいつものように軽く 規律正しい足取りで歩いていた。 広い廊下で硬質な音が響いて顔をあげた。 扉が開く音だ。 「…あ?何だ、坊ちゃんかよ。」 「…まだ寝ていたのですか。」 「っせぇな。徹夜だったんだよ。」 寝ている住人とは彼の事だったんだろう。 肌蹴たシャツとボサボサの髪をギルベルトは気にせずに欠伸を する。 その姿をみっともない、と思ったがそれ以上に気になる事が あった。 この男… また細くなっていないか? そんなに仕事か何か知らないが根詰めたとはいえ元々活力のあ る男だったのに疲れも顔に見えている。 そうローデリヒは男を観察しただけだったのに。 「…んで睨むんだ。」 「…」 そんな覚えはない。 「言いがかりはよしてくれませんか。喧嘩をなさりたいのなら フランシスにでも会いにいきなさい。」 「こっちの台詞だ。バーカ、あいつに会ってセクハラされてこ い。」 そう人を馬鹿にするように笑いながらギルベルトは顔でも洗い に行くのだろう。洗面台に向かう。 ローデリヒは少しだけ眉を曲げた。 はぐらかされた? …言いがかりだとしたのなら彼はもっと突っかかっただろう。 ならば本当に自分はそんなに分かりやすく彼を睨んだのだろう か? 感情を隠すのが巧いつもりはないが、それでも表情を変えない でいる事は得意なのに。 (大抵いつも表情以外の事で動揺はバレる。) 「…」 今日見た 夢のせいだろうか。 酷い痛い… 昔の、夢。
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