一人の若い男が死んだ。

その男の死骸が発見された場所は冬の冷たい川だった。
死因は心臓麻痺。
調査によれば前日には酒場で飲んでいて、酔って川に落ちたショックでの心臓麻痺と予測はされた。
けれど財布がなかったのだ。
川に流された可能性も、強盗にあってそのまま殺された可能性も、否定出来ずに調査は始まった。
事件性が皆無でない限りは調べる必要がある。
青木はその時に彼の家を調べる事になった。


小さい、もう壁の皹さえもクッキリ見える朽ちかけたような古いアパートに彼の部屋があった。
その部屋にはけれども何もなくて調べる事もほとんどなかった。
戦争で父を亡くし、母を病で亡くし、他に親戚も身内もなく、知り合いも仕事関係以外には何もないらしく、彼に関して調べる事はほとんどなかったのだ。
何もない、男。
死しても、何も残さなかった男。

小一時間で帰ろうとしたらそこで青木は、アパートの前で立っている少女を見つけた。

長い黒い髪、冬の割りのは薄着の白い服。
まだ幼い、けれど楚々とした落ち着きのある綺麗な顔をした少女だった。

死んだのですか。
青木を警察と確かめるとそれだけを小さく、小さく尋ねる。
被害者の名前を確認した。

知り合いだったのですか。と聞けば、少しだけ。と答えた。
夜が暮れだしていて、冬の透き通った冷たい空気にその少女の存在が浮かんで、小さな幻想感を与えた。
若い少女に、並ぶ警察官の姿は意味のない緊張と圧迫感を与えてしまうのを知っているから同僚の人間は先に帰らせて青木は羽虫の集る街灯の下で少女と二人き り向き合った。
簡単な事情を聞く。
けれどもやはり少女の言葉からも彼の死因に事件性を結びつけるものはなくてこの事件は事故死で片付くように青木は思った。
だから少女に礼を言って別れようとしたが引き止められる。
まだ言葉は続く。

写真などはありましたか。
いいえ。
写真もありませんか。

少女はそこで始めて悲しそうな顔をした。
そしてぽつり、ぽつり、と語りだす。



−私、彼が好きでした。










今日は月も出ていない。
部屋に明かりもつけていない。

光の少ないせいか潜むような息使いばかりが部屋に篭る。

青木はその部屋に漂う気だるいだけで重みのない空気を吸う。
不味い酸素が肺を浸して青木は小さく吐き気を覚えた。

だから八つ当たりのような心地で目の前にいる背中を見せている男の首を噛んだ。
自分に組み敷かれた貧相な体の男。

「ひ、」
哀れみを誘うような声でか細い悲鳴。
それが鼓膜の奥に滑り込むように入って更に苛立つ。

「っ、は、……ぅ、ぁ」

ぎり、と項に歯を立てる。
痛いのだろう。益田は体を仰け反らせて肩を固めた。
ぐち、と粘膜が擦れる音と一緒に悲鳴は掠れた。
犬のような姿勢で四つん這いになっていた益田の首が床に落ちそうになるのを防ぐように空いている手で顎を掴んで息が苦しいだろう位置まで喉を仰け反らすよ うに持ち上げた。
その拍子と同じに彼の中に挿入している熱を更に奥に沈めた。
そして噛んでいる歯もそのままに乱暴に揺すり上げる。
益田の体はまるで無機質な何かのようにその暴力的な行為を受け入れるが、時々苦しそうに痙攣する様が生々しかった。

「、ひ、ぐ、…ぁ、あっ…」
「−」

顎を掴んでいる手に益田の唾液が滴る。
思ったよりも濡れていて、彼がだらしなく口を開いているのだろうと分かった。
もう片方の手で益田の下腹部を少しだけ撫でた後にそのまま昂ぶっているその益田の熱の塊に触れる。
粘着質な液がだらだらと零れているのを確かめるとそれを根元の肉まで指で掴み上げた。
少しだけ食い込むようにしただけでも痛いのだろう。
完全に益田の声は喘ぎなんてものじゃなくて、やはり悲鳴だった。
それでも。

「か、は、……あっぅ、」
「…よくこんなにされて、勃つね。」
「っ…あお、き、…さ、」
ひくつように、動く益田の熱、。
「痛いのが好きなのは分かったけれど無闇に締めるなよ。」
「!あ、ぁっ…あぅ」

下半身は乱暴に扱いながらも噛んで鬱血した項を一度優しく舐めて耳元で囁いた。
くっきり、と、鼓膜の奥に確実に届くように。

「…へんたい。」
「ひ、……」

泣き声まで混ざって、今益田はどんな顔になっているのかと考えたがどうせ向かい合った所で目隠しで表情の半分は隠されている。
いつもの事だが何だかそれが馬鹿らしい事のように思えて青木は腹の奥でまた少し苛立った。
そうだ、馬鹿らしい。

その苛立ちを知らせる様に口内に指を突き入れて舌を苛めた。
生ぬるい感触のざわついた益田の舌を無理やり引っ張って扱く様にする。
すると喉から濁った声が苦しげに鳴く。
「っ、ぁ、…ふぅぅ…ん、む…」

もう唇は唾液だらけできっと見っとも無い。
舌を苛めるその指を喉の奥に突き入れるようにしてやればその奥が痙攣した。
苦しいのだろう。
それでもまるで益田の口を受け入れる性器のように扱って指を掻き混ぜた。
「ぐ、っ……ぁん、…!!…っか…」
えづくような喉の声。
けれどもその声を上げる度にきゅうきゅうと締め付ける内部。

「あぅ、…ぐ、」

指を抜いた。

ぽたり、と青木にまで聞こえる音で益田の唾液が床に落ちる。
ぜぇぜぇと肩で息をしていた。
「っか、…は、!」
とうとう前身が倒れて、腰だけを突き上げる形になった。
それでも構わずに益田の中を突き入れてみれば、喉を仰け反らせてどうやら息を求めて口をぱくぱくとしている。
まるで陸にあげられた魚だ。
唾液や淫らな液で湿っていて粘膜もどんどん濡れている。
本当に普段、彼が乾燥した人間だった事さえも忘れそうになる。

魚。

暗い狭い深海しか知らない深海魚ならば酸欠にならずに済んだ。
生まれた時から光の存在も、陸の存在も知らなければよかったのに。

陸に憧れ、けれども報われない事を知って、そのあまりに逆に深海を望む魚。
それは誰だった?

「ひ、っく、あ、あ、あ…っあ、」

益田の体はびくびく、と痙攣をし出して声も必死な途切れ途切れの物になる。
繋がった部分も小刻みに青木をはしたなく、扱くように締めつける。
もう終わるのだろう。別に構わない。

勝手に終わればいい。

「あ、っぁ、あ、、ぁー!ひ、」

もう理性なんてないのか益田の声はまるで動物のそれだった。
それでも青木は何も気にせず、ただ無感情に腰を打ち付けていた。
こんな遣り方でしか抱いてないのに後ろを突き上げる事で達する事まで出来るようになった体だ。
気を使う事はない。

益田はシーツを掴んで、髪を振り乱した。
魚が跳ねるように。
水中に還りたいと足掻くように。
なぜかそんな事ばかり考える。


「っひ、ぅー……!!!」
高い叫び声で益田が震えて、達した。

そして死んだ魚のようにくたり、と体の力を落とした。
青木はまだ終わってないからまた揺すってやろうかと思ったが、なぜかその様を眺めていた。
隠された目はやはり隠されたまま。
益田の目に映さないまま、魚は死んだ。

「…」
益田は息を荒げて呆然としているだけ。

青木はそっと小さく、目隠しの布に触れようとして止めた。

(馬鹿らしい)


ここは陸でなく、深海だ。

あまりに暗くて陸にいると勘違いしたまま死んだ気になった魚がいるだけだ。
陸には行けないと知って夜のような深海に潜り夢を見ている魚がいるだけだ。



まだ終わってない。


彼女はまだ夢を見るまま。



その目隠しを外さない限りは。


何も、終わってないのだ。














−私、彼が好きでした。



でも僅かにしか会ってないんです。顔も−あまり見てないんです。
声だって少し聞いただけ。馬鹿みたいですね、朝によく擦れ違って挨拶して― 私が悲しい時に顔色が悪いけれど大丈夫か、と心配を一度されて―その時にここ で水を貰っただけです。そのまま彼とは何もない。 でもそれだけで、…それだけで私、彼が好きでした。おかしいですね。でも。

でも好きだったんです。
青木が困るのを承知で少女は喋っているのだろう。

少女は街灯の色付いた明かりの中で少し顔を伏せた。

本当に死んでしまったのですか。
私、何も伝えてないのに。
名前しか知らないのに。
何も― 彼に出来なかったのに。
何もない、ままなのに。

その声で少女が泣く為に両手を目の上に置いたのでない事を青木は知った。
声は弱弱しかったけれどけして泣き声でない。

むしろその顔は笑っていて− 触れれば溶けてしまいそうにか細く笑っていて。
目に焼きつく。
少女はその笑顔のまま
少女は目を両手で隠して、更に顔を伏せる。

少女は言葉を続けた。
夜の暗い空間に跡をつけるような声だった。


こうして目を閉じれば思い出せるんです。
まだ、彼を想えるんです。


まだ、彼が居るのです。


私の中には、居るのです。







                          







           

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