その後ギルベルトはドイツの上司に呼ばれ、そして帰っ てこなかった。 ルートヴィッヒはその間ずっとそわそわしていて部下に 怒鳴る事も多かったように見える。 ローデリヒはそんなルートヴィッヒを淡々とサポートし て適当に窘めた。 ローデリヒが少し強めに発言の制止を強いればルート ヴィッヒは渋々に落ち着こうとする。 それだけで自分はここにいる意味がある気がしてローデ リヒは僅か安堵しているのだ。 まだ彼にとって自分はまったくと言えないけれど必要 だ。 あの兄ほどではないに、しろ。 「…上司も彼の存在にあまりに大きく何かあれば貴方に 影響がある事を分かっています。 心配なさるな、という方が無理でしょうがもう少し動揺 をお隠しなさい。家に影響しますよ。」 「…あぁ、すまない。」 こんな時の素直な彼は頭を撫でてやりたくなる。 やましい気持ちではない。 自分は彼がまだ自分の膝くらいの時から知っているの だ。 …『これ』は親心だ。 少なくとも『これ』は。 気持ちを落ち着かせるために書紅茶を淹れてやり、書類 の隣に置いてやる。 飲まなくてもいい。 香りだけでも気持ちは落ち着くだろう。 「………」 カップを揃えながらローデリヒの意識は別にあった。 不謹慎だろうか。 それでもローデリヒは本当はピアノが弾きたい。 けれど何となく今の空気はそんな事も言い出せず、そし て出来ずにいる。 心を落ち着かせるための曲をローデリヒはいくつも知っ ている。 何も言わずにいつもならそれを弾いたかもしれない。 きっとルートヴィッヒはそれを咎めない。 けれども弾けなかった。 弾きたいのに弾けなかった。 水は目の前にある。喉は渇いている。それでもローデリ ヒは何も出来ない。 その水が自分の物でない気がしたからだ。 「………オーストリアさん。」 「!」 廊下で名を呼ばれる。 そこにいたのは…軍服を纏ったドイツの部下だ。 呼ばれたのは国名。 ローデリヒは目を細めた。 「上がお呼びです。」 硬質で冷たい黒い部屋にローデリヒは『ドイツ』の軍服 を着てそこに立っていた。 慣れない硬くて皮の帽子に髪のセットがどうしても崩れ そうだから諦めて前髪は落とす事にする。 ルートヴィッヒのようにもう少し硬く固めないといけな いのだろうか、とかそんなどうでもいい事を考えていた。 そこにいたのは全て元々ドイツの人間だった。 合併に伴い少ないけれど自分の上司も上層部に食い込ん だはずだが、まぁ何の役にも立たないのだろう。 部屋に手を後ろに立っていれば品定めをするように自分 を見回す視線が気色悪い。 「やってもらいたい仕事がある。」 「何でしょうか。」 優雅さは求められていないから質素な返事を返すしかな い。 目の前の男は冷たい声で言葉を続ける。 「一人、少々教育してもらいたい。」 「私が?」 「ルートヴィッヒにはやらせたくないのでな。」 「…お言葉ですが私はその類に詳しい手法を知りませ ん。」 「お前が詳しい手法ですればいい。」 「…?」 コトリ、とテーブルの上に小さな小物が置かれた。 (薬瓶?) 何の? 「………っ」 瓶に書いてあるラベルを見て僅か指が引きつった。 その薬品についてでない。 その薬の正体とこの人間が言った『詳しい手法』。 それに繋がる答えが、それがローデリヒを…軽く侮辱す る行為だった。 「…了解してくれるね?」 「………」 断れない。例えどんな仕打ちを受けようと。 自分の立場でそれは許されない。 この国でいたいのならば。ドイツ、になりたいのなら ば。 (………) 浅ましく誰かの水を飲み生き延びるか。最後まで矜持の ために乾き滅びるか。 自分以外の無数の意識の塊で生まれた自分達はそんな選 択を選ぶ意識すら与えられていなかった。 けれど。 そのオーストリアの意思でなく ローデリヒの意思だとしても 「…ja。」 この任務に断る理由はなかった。 その一人とやらがローデリヒには誰だが分かっていた。 だからこれは機会だったのだ。 この胸をグズグズにして襤褸カスになった物を廃棄出来 る。 そうしてやりたかった。 その襤褸カスを作った本人に叩きつけて汚してやれる。 そう出来ると思っていた。 そうしないときっと自分は愛している音さえ奏でられな い。 そんな気がしていた。
|
|