口から血を出した男が死んでいる。 ローデリヒは呆然とただそれを見ていた。 振り落とすま でもなかった剣を握る手の感覚はない。 光のない瞳で地面に頭を転がしているのは銀髪の敵 国の将軍だった。 遠くの国にまで誇り高い騎士と呼ばれる男だった。 久々の長い戦だった。ローデリヒがここまで前線に出る のは久しかったくらいに。 だからこそローデリヒは全身全霊でロートとヴァイスの 旗に双頭の鷲を掲げ馬を走らせた。 血にも叫びにも目を逸らさずにその剣を最後まで握り続 ける覚悟で。 けれどその剣は戦の最後を告げる事はなかった。 膝をついた将軍は自分を見据えると同時に自決した。 『騎士として貴様の剣だけには殺されない』 『この淫売国が。』 そう言って赤い舌を見せるつけるように大きく口を開い て噛んだのだ。 戦場に響いたのは骨を立つ美しい剣の響きでなく肉を噛 み千切る醜い音。 口から留め止めなく溢れる血はローデリヒの靴にさえ届 かない。 ローデリヒはそれに言葉を出す時間もなく、ただ呆然と 立ち尽くすしかなかったのだ。 そしてローデリヒの指から剣が落ちる。 白い軍服は真っ白のままで きっと、 何よりもこの戦場で美しく 意味のないものだった。 「綺麗だよ。」 これは誰の声だろう。 「あぁいいよ。ローデリヒ。」 この声の名前はなんだろう。 白い布地の感触は素肌の全身に心地よいはずなのに何も 感じない。 男の吐息の気色の悪さから覚える吐き気はもうなくなっ てしまった。 涙ももう流れない。 その事実が酷く胸に空洞を作る。 そして手の握られる。 指が絡まる。 この一番嫌だった行為さえも。 握られた手はもう力が入らずただの棒切 れのようになってしまいそうだった。 弄ばれ、もしくは相手を満足させるためだけにあるよう に扱われる指。 こんな事にこの指先はあった訳じゃないのに。 けれども。 剣を握る事を期待されなくなってしまったこの指はもう きっと騎士とは呼べない。 ならこの指にきっともう誰も期待などしない。 それはもういい。 そう思うしかない。 だけれど。 あぁ。 この枯れ木のような指でもいい。 ピアノを。 ピアノを弾いていたい。 ねぇ まだ聴きたがってくれるかな。 （…分かっています。） 裏切ったのは自分だ。 ギルベルトに見下され詰られるのは当然だった。 ギルベルトは認めてくれていた。 あの時オーストリアの旗の意味と生まれた理由を ローデリヒを戦う国だとそう認め見つめてくれていた。 けれど自分はそうで在れなかったのだ。 結局は戦で自分は存在出来なかった。 大きくはなれなかった。 だから 国の者を売るように他国にやり 自分もまた女にも男にも愛の言葉を囁き身を開き委ね そんな娼婦や男娼のように戦火を免れそして国として大 きくなるしかなかった。 時には色々な国を見捨てた。 そうしてローデリヒはいつしか弱くなった。 ゲルマンの純血を失った。強い剣を失った。 戦ってではない。 戦いを避けて大国となるために、失ったのだ。 ギルベルトの言葉を裏切りそうして育った。 そして、それなのに。 ローデリヒはギルベルトの弟であり騎士であるルート ヴィッヒに惹かれてしまったから。 その気持ちに気づかなければまだ忘れていられたかもし れなかったのに。 ギルベルトのあんな些細な言葉で意識さえしなければ忘 れていられた。 ギルベルトさえいなければ。 自分とは違い、 戦う国として生きて、 そして愛する者のために、国の名を失う最後まで戦っ た… 『プロイセン』さえいなければ。 同じように戦うために生まれ認められたのに自分はそう であれなかった。 惨めだった。羨ましかった。 眩しくて正視なんか出来ない。 情けなくてこんな姿を見てほしくなかった。 そんな気持ちを廃棄してしまいたかったのだ。 それでもどんなにローデリヒが後悔しようとも謳われ る。 戦いを放棄し他国に媚を売ってそれに寄生し育った国と して謳われる。 何百、何千、何万と人間がいる限りロー デリヒはそう歴史に刻まれてしまっているのだ。 分かっている。 分かっているし、それでもローデリヒは国として顔をあ げて生きていこうと決めたのだ。 自分が国としての自分を貶してそこに生きる者がどうし て笑えて暮らせよう。 だから 色々な言葉で下卑されてもローデリヒは誇りと気品を捨 てないで顔をあげた。 誰にどんな風に罵られ様とも毅然とした。 大丈夫のはずだったのだ。 貴方さえいなければ。 だって貴方以外なら耐えられた。
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